41.よい友イエス様

ヨハネの福音書 15章 13節~15節

(ホン)性弼 牧師
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ヨハネの福音書 15章 13節~15節
13.人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
14.わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15.わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。


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宣教の灯を照らします。


私たちは神様を本当に友人のように接していますか。私たちはイエス様を心から友人のようにお話していますか。神様は私たちを友人のように接したいのですが、私たちはもしかしたらよそよそしく接しているのではないか、今一度考えてみなければなりません。
神様は今、私たちから友人のように率直なお祈りを聞きたがっておられます。それではどのようなお祈りを望まれておられるのでしょうか。多くの人々がいるところで大きな声で祈りなさいとおっしゃいましたか。
マタイの福音書 6章 6節
“あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。”
私たちはこの言葉を長い間誤解してきたかもしれません。もしかすると今まではあまり表に出さずに祈りなさい、という程度にしか理解できなかったのかもしれません。しかし、イエス様はおっしゃいます。友人のように私にすべてを言いなさいと言っておられます。そうすれば、主が動きます。イエス様が手を伸ばして働き始められるのです。主は私たちの髪の毛の数まで知っておられるとおっしゃっているのに、私たちが主の御前で何を恥じることがありましょうか。何を恥ずかしがることがありましょうか。何を隠すことがありましょうか。何の体裁を繕うことがありましょうか。
イエス様は私たちと友人になることを望んでおられます。これはただ単に親しくなろう、いやならそれでもいい…。それぐらいのものでは決してありません。過去には、神様に祈りを捧げるためにいけにえを捧げました。しかしイエス様は自ら神様に差し上げるいけにえになって、自ら十字架にかけられ血を流してまで私たちと友人になりたがったのであります。私たちと友人になって、私たちの罪をご自分の血ですべて洗い流すことを望まれたのであります。
主が手を差し伸べられます。私がいけにえになったので、これ以上いけにえは要らない。あなたの祈りをささげさえすればいい。誰も見ていないところで私にすべてを打ち明ければいい……こうおっしゃっているのです。
皆さん、イエス様を信じましょう。イエス様を頼りましょう。そして私たちの友人、私たちの良い友人となったイエス様に私たちのすべてを話してください。イエス様はいつも私たちと一緒におられます。私たちをいつも守ってくれます。導いてくださいます。
私たちを本当に愛してくださる真の友人になったイエス様に真の祈りを捧げる時、そしてイエス様を真の友人として私たちが迎えることができる時、主の中で真の平安と真の祝福を受ける皆様であらんことをお祈りします。

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