ヨセフの再会
The reunion of Joseph
 

ホン・ソンピル (洪 性弼)
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「ヨセフの再会」
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第一章 決断 第1

登場人物
ツァフェナテ・パネアハ(ヨセフ):エジプトの宰相

場所
エジプト宰相執務室




 会わぬ。会わぬぞ。会わぬと言っておるではないか。なぜ、私が彼らに会わなければならんのだ。聞けよ、アセナテ。そなたも私の心を察してはくれぬのか。私が彼らに会ったところで何を話せというのだ。一握りのはした金を受け取って食料でも分けてやれとでもいうのか。私にはできぬ。私が彼らにどれほどの苦しみを受けたのか、そなたは分からんのか。
 我が故郷カナン。私が生まれ、父と母との愛を受けながら育った愛しい我が故郷。私には母が四人おられた。レアとその侍女シルバ、ラケルとその侍女ビルハだ。系図の上ではどなたも私の母親であり、彼女らが産んだ子らは皆が私と血を分けた兄弟だといえよう。だが、私を産んで下さった実の母はラケルのみ。とても美しく知恵のあるお方だった。これは私の母だからということではない。今まで何度も言ってきたではないか。だからこそ、私の母は父からの愛を独り占めできたのだ。いくらレアが私の母の姉であっても、誰も私の母に注がれた父の愛を邪魔することはできなかった。父ヤコブと母ラケルとの愛、この世で最も神聖で美しい愛だった。天上の天使であったとしても、どうしてその愛を妨げることができたろうか。
 しかしレア、シルバ、ましてやビルハが十人もの子を産む間、哀れなことに私の母は子宝に恵まれなかった。このようなことをもって天が平等であると誰がが言うなら、私はその口に呪いを浴びせたかっただろう。平等?そのような言葉はそう簡単に口にするものではない。自分の侍女までが息子を得られたのに、どれほど父の愛を独り占めできたとしても、子を授かることができないとしたら何の意味があろうか。
 そんなある日、ついに母は私を身ごもり、お産みになられた。どれほどよろこばれたであろうか。父には多くの子供たちがいたにもかかわらず、私はすべての愛を一身に受けて育てられたのだ。全世界が私のものだった。朝、目覚めてから夜、眠りにつくまで、私が食べるものから着るもの全てが父の愛と母の喜びで満たされていたのだ。
 十年後、母は再び身ごもった。母親が子を宿したと知った時から父はとても喜んでおられた。恐れ多くも陛下が授けてくださった私の名は「ツァフェナテ・パネアハ」であるが、私の母が付けてくださった名はヨセフだった。ヨセフ、ヨセフ…。これは「加える」という意味を持つ名前だ。神がもう一人息子を加えてほしいという意味が込められているのだ。

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