第一章 決断 第2話
母は私をお産みになられても満足はしなかった。それもそのはず、レアは、息子を七人も授かり、シルバとビルハどちらも子供二人いるというのに、ラケルが私一人で満足するはずがない。そして十年が経ってから、やっと二人目の子を授かることができたのだ。私の名前に込められた祈りが遂に成就される時が来たのだ。父ももはや気力の衰えを感じていただけに、これが最後のチャンスになるかもしれないということはご存じだっただろう。
だが、何ということだ!シェケムからヘブロンへ向かう途上で出産される時、母は、あまりにも早すぎる死を迎えてしまわれたのだ。ああ!あれほど待ち望まれたわが弟を一度抱きしめることもできずに目を閉じてしまわれたその心情を、その悔しさを誰が知り得ようか!
母がこの世を去った後、母へと注がれていた父の愛は私と、その時生まれた私の弟ベニヤミンに向けられた。父が私と私の弟ベニヤミンも見つめる視線と言葉の先にはいつも母がおられた。私はそのような父に報いようと最善を尽くした。いや、それはただ父の愛に応えたい、というようなきれいごとではない。幼い私にとっては親のような、いや、親よりも大きな権威として君臨する兄たちの間(はざま)で生き残るための私の生存戦略だったのだ。レアから生まれた兄弟たち、シルバから生まれたガドとアシェル、ビルハから生まれたダンとナフタリ、彼らはどこへ行こうとも何があっても、彼らの母によって守られ、兄弟たちもお互いを思いやり支えあうのだが、私には守ってくれる母がおらぬではないか。私を守ってくれるのは私自身のみ。それだけではない。私は私だけではなく、幼いベニヤミンまでも守ってやらねばならなかったのだ。このような状況で、私の拠り所は父以外に誰がいようか。私は父から気に入られるためであれば何でもやった。恥も外聞もなかった。挙句の果てには、兄たちの過ちを父に告げ口することまでいとわなかった。幼心ではあったが、私は生き残るために毎日毎日必死だったのだ。
そう、それは母が生きていた時とは正反対の、いわば朝、目覚めた瞬間から夜、目を閉じるまで、私は生きるためにもがき、ベニヤミンを守るために手段と方法を選ばなかった。父の愛を渇望し懇願したのだ。憎まれないためにも必死になるしかなかったのだ。
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