第一章 決断 第11話
そして、三日が過ぎた。牢に閉じ込められ以来、いや、エジプト連れて来られて以来、その三日間は特別な日だった。そう、<待つ>ということを私が初めて味わった日だったのだ。おそらく生まれて初めて<待つ>ということを経験した日だったのかも知れぬな。
物心ついてからというもの、私自身の人生はそこになかった。奴隷という身分である私に何の力があったろうか。何の決定権も、何の選択肢もなかった。
自由を覚える前に服従を覚えた。笑いを覚える前に、主人の顔色を伺うことを覚えさせられた。口を開くことを覚える前に、口を閉じ耳を開くことを覚えさせられた。私の主張をするより先に退くことから覚えさせられたのだ。すべては強制で始まり強制で終わった。私自身を考えるより先にご主人様のために動かなければならなかったからな。
そんな私に「待つ」などというのは贅沢だったのだ。明日があるのかどうかも怪しいのに 、どうして明日を夢見ることができようか。
「待つ」というのは、未来を象徴するもの。
「待つ」というのは、希望を象徴するもの。
「待つ」というのは、自由を象徴するもの。
しかし、未来も希望も自由もなかった私には、待つことが許されない人生、待つことが忘れられた人生だったのだ。それが、献酌官の夢を聞いてからの三日間は、「待つ」ことへの快感を味わることができた貴重な時間だった。
待った理由はというと、私の夢の解き明かしがどのように成就されるのかを確認したかったからだ。子供の頃に見た夢は、まだ達成されていない。どのように達成されるのか、どの時に成就されるかどうかも分からない。その時は正直のところ、神から与えられた夢なのか、でなければただ露や霧のように過ぎ去ってしまう、はかない蜃気楼かもしれないと思ったものだ。
だが、今度は違う。三日だ。献酌官の夢も料理官の夢も、すべて「三」を指していた。その夢の解き明かしについては、もちろん確信は持っていたが、実際にどうなるのかを見届けたかったのだよ。
これは単純な好奇心ではない。今回の夢が解き明かし通りに成就されれば、私はもう一つの「待つということ」を得ることができるだろう。献酌官の夢の解き明かしが本当に神から与えられたものならば、遠い昔、ヘブライの地で父の愛を受けていた時に見た夢も神から与えられた夢だと信じることができる。また、待つことができる。そう、待つことができる。待つことができるのだ。未来を希望を、そして自由を得る道が開かれるのだ。
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